#002-03



 何周この街を巡っただろうか。やがてハザードを炊きながら減速し、公園中通へと入って行った美由の車に、私も付いて行く。私達以外にも走る車は幾台もおり、劈(つんざ)くようなエキゾーストノートが絶える事はない。それでも、自らの車から降り立つと夜の静けさが感じられ、走りに昂ぶった体にはなかなか心地良い
「いやぁ、今日は結構長めに走っちゃったね。」
 軽く伸びをしながら言う美由とは対照的に、私は収まらない呼吸の乱れを整えていた。
「そうだね……。私はもう、いっぱいいっぱいだよ。」
 長めに走ったから、という美由への返答とはいえ、例え走ったのが周回コース1周足らずだったとしても、私の息は上がってしまう。私は体力だってそんなになく、学生の頃の持久走の順位だっていつも後ろから数えた方が遥かに早かった。加えて走りの技術も大した事のない私が、この場所でも一目置かれる存在である美由について行くというのは、いっぱいいっぱいなんて言葉では言い尽くせないほどのものである。
 ただ、その辛さを全部表に出してしまうのは、何となく気が引ける。だって、私は――。
「今日はちょっと仕事が長引いちゃって、帰って来るの遅くなっちゃったからね。10時くらいには寝たんだけど、いつもと比べると少し寝足りないって感じかも。」
 だから、嘘というわけではないが、つい要らぬ言い訳をしてしまう。
「そっかぁ。それならしょうがないよね。」
 幸い、美由は余り私の言う言葉を疑う事はないので、こういう時に誤魔化すのは容易だ。
「じゃあ、今日は早めに帰った方が良いんじゃない? 私もこれくらいで引き上げても良いかなって思ってたし。」
 ――美由がこれくらいで引き上げるなんてありえない。毎夜、一晩中走り明かすのが彼女の日課なのだ。だから、これは詭弁(きべん)だろう。
 あくまでも私に気を遣っての事かも知れないし、今日は一人で走りたいという遠回しな意思表示なのかもしれない。美由は一人っ子故の特性か、一人で居たいという気分の時も結構あるようで、そんな時は走りにおいても誰かとは余りつるみたがらない。
 いずれにしても、美由の提案が的確なものである事には間違いない。無理が利くほど丈夫な体ではない私なら、尚更の事だ。
「……うん。そうだね。そうさせてもらうよ。」
 それでもちょっと言い淀(よど)んでしまうのは、もうちょっとだけ走れると良いのにな、と思っているからなのかもしれない。
 私だって、好きで走りに来ているのだ。何より、私程度の腕の人間が、美由ほどの技術を持つ人間と頻繁に走れるというのは、恵まれている。ついて行くのは辛いとはいえ、それが嫌なわけでは決してない。
 しかし、今それを口にしてしまっては、美由の親切心を不意にしてしまう形になるし、一人で走りたいであろう美由の意志も尊重したい。それらしい理由を付けて、取り繕う事にする。
「明日もちょっと忙しそうなんだ。今日はもう帰って寝とかないと、仕事もそうだけど、また次に走りに来るのも辛くなっちゃうしね。だから、美由はまだ残ってなよ。こんな程度じゃ、美由からしたらまだまだ走り足らないでしょ?」
 最後の言葉は努めて明るく言い放ったが、美由の表情は少し違った。
「……流石(さすが)鋭いね、尊は。そうだね……やっぱりもう少し走ってく事にするよ。」
 ――薄く笑ってはいるものの、何処か影のある独特の雰囲気は、"走り屋としての美由"の特徴的な表情だった。それは、幾度となく目にしてきた私ですら、思わず息を飲んでしまうほどのものだ。
「ちょっと気合い入れて走ってみようかな。……そう、誰も追い付いて来れないくらいに、ね。」
 ――誰も付いて来れない。無論、私も含めて――。
 美由ならば、言葉通りの所業も可能なほどの技術を持っているし、そう望んでもいるだろう。少なくとも今の私には美由に追い付く事なんて到底出来っこない。
「大丈夫だよ。だって、美由は最速だもん。」
 だから、返したその言葉の中には羨望(せんぼう)も含まれていた。
「有難う……じゃあね。」
 去り行く美由の姿は、まさに最速に相応しいもの。私が直感でそう感じたに過ぎないが、きっと同じ光景を見た人ならそれを否定する事はないだろうという妙な確信を抱きながら、私はシルエイティのテールに手を振った。




 私には、男の人に多く見られるような、車の姿形やメカニックな部分への憧れは余りない。車の運転は好きだったが、車種に関する知識には乏しかった私の場合は、スポーツカーを「うっかり選んでしまった」という感がある。もしそこで、スポーツ走行とは無縁な車を選んでいたら、もしかしたら今の私は走り屋にはなっていなかったかもしれない。
 但し、それは美由と出会っていなければの話だ。美由という車に強い関心を抱いていた親友を持っていた私は、いずれにしても今と同じ選択をしていた事だろう。
 何よりも、私がそう望んだのだ。
それは、美由とずっと一緒に居たかったから――。そう表現する事も出来るが、そんな風に言うのは綺麗過ぎるようにも思う。もっと単純に、美由に置いて行かれたくなかったから。その方が的確だろう。
美由が離れて行ってしまえば、私自身が寂しい思いをするのは勿論の事、美由だって孤独を深めて寂しい思いをするのではないか。後者は私の思い込みとお節介だとしても、今の走り屋としての私が在るのは、そんなところに由来している。



美由とは高校の同級生で、親友と呼ぶに相応しい間柄だった。当初の私はそこまで車が好きだったわけではないが、女子としては珍しく車好きの美由に色々と教えられている内に、私もそれなりの興味を持つようになった。そして4月生まれだった私は、2年の春休みに教習所に通い、早々に免許を取得したのだった。3月生まれの美由よりも、ほぼ丸1年も早く。
だから、実は運転歴も美由よりほぼ1年長い。その1年の間、学生の時分ながら親の車を借りてよく走っていたものだ。けれども、美由の才能の前には一日の長など意味を成さなかった。僅かの間にめきめきと頭角を現した美由に、私は追い縋るだけでも精いっぱいだった。


美由は、唯一無二の親友。だから、決して一人になんかしない。
例えお節介だとしても、私は必死に美由を追い続ける。私は、そう決心したんです。

でも――頑張っても追い付けないっていうのは、やっぱり悔しいんですよね。


――だって私も、走り屋なんですから。



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