― 8.臨戦〜die Teilnahme an einer
Schlacht〜 ―
陽は沈み、人々は帰途に着き、幕張は静かな闇夜に包まれる。しかし、この都市に安息の時は訪れない。深夜になると鳴り響く警鐘。誰かがエキゾーストノートを轟かせ、開戦の時を告げる。その合図に、チューンドカーで武装した他の戦士達も呼応し、戦地へと集い来る。
そのエリアは敵地。味方は誰もいない。全ての戦士は孤独な戦いに果敢に挑む。この闇の何処に敵が隠れているかも分からない。突如背後を照らす光。だが、急襲に遭っても怯むわけには行かない。少しでも弱みを見せれば、一瞬の内に撃墜されてしまう。戦いに明日はない。その一戦が再び繰り返される事は永遠にない。だから、勝つしかない。言い訳など許されない。
周りは既に配置に着いている。いつでも掛かって来いと、自信に満ちた様子で告げている。……さあ、準備は良いか――?
深夜の幕張を走るEKシビック。尊が15号線を比較的軽めに流していると、突然2つのエキゾーストノートが同時に高鳴るのを耳にした。そして、何秒もしない内にヘッドライトが後ろを照らしたかと思うと、両サイドからほぼ同時に二台の車が猛烈な勢いで抜き去って行った。
「あれは例のシルビアと、もう1台は……碧のGTO? 破壊の関口ッ!?」
白地に淡紅色のラインのS15シルビアと共に走るのは、異様な雰囲気を纏った碧のGTO。その乗り手は破壊の関口――そんな二つ名で恐れられており、幕張の常連の中では現在最速とされる一台である。尤も、その名からも分かるように勝つ為には手段を選ばず、大パワーと重量級のボディを利用して強引なプッシュや幅寄せも平気で仕掛けて来るといった、悪いイメージばかりが付き纏っている走り屋でもあるのだが。
しかし、仮にも“最速”と呼ばれるからには、相当な速さを備えているのも事実である。そして片やプロレーサーが操るシルビアである。尊としても、この取り合わせには興味が湧く。すぐに見えなくなってしまう事は覚悟の上で、尊はアクセルを踏み込んだ。尊のシビックもかなりのチューンが施されているのだが、追っている二台とは根本的なポテンシャルが違う。殆ど直線ばかりの15号線では、予想通りどんどん離されて行くばかりである。2台のテールランプは、徐々に小さくなって行く。
「……この15号線であのGTOに完璧に食い付いて行ってるなんて……。 GTOの方も、仕掛けるだけの余裕がないみたい……。2台の距離が近過ぎる……。あのスピードであんな至近距離で戦えるなんて、ちょっと尋常じゃないですよ……。」
尊もシルビアの事は周知で、かなりの技術を持ち合わせているであろう事も分かってはいたつもりだった。だが、実際に走るその姿は、尊の予想を遥かに越えていた。遠巻きにでも、2台がギリギリの鬩ぎ合いしているのが見て取れる。
「これが……これが幕張でトップを張る人達の走りですか……。技術だけじゃない、圧倒的な性能を持ったマシン……。」
やがて2台のテールランプは視界から消える。尊は追い切れない自分を悔しがりながらも、同時に鳥肌が立つほどに身が震えていた事に気付いた。
シビックは周回コースへ戻ると、ハイテク通から公園中通へと入る。そこには敏行、美由、豊、孝典と顔触れが揃っている。物静かな尊としては大分と興奮した様子で、今見た事を伝える。
「さっき、破壊の関口と例のシルビアがバトルしてたんですよ。しかも、15号線でシルビアが完全にGTOと横並びですよ! それもかなりの至近距離で。いや、本当に凄かったです……。」
すると、敏行が頷いて答える。
「ああ、僕にも分かったよ。特にGTOのエンジンサウンドは、僕には聞き覚えのあるものだからね……。」
豊も続いて口を開く。
「かなりの爆音だったからな。此処に居たって、バトってる事は音で分かるぜ。まぁ、俺はGTOの方はあんまよく知らねぇんだが……。青山、お前あのGTOと走った事あんのか?」
そう聞かれると、敏行は僅かだが表情を険しくした。
「……結構前の話になるんだけどね。結局その時はプレッシャーに負けて差し込まれた時にやられたけど……。そういや、車降りてからもぼろ糞に言われたなぁ。何が気に障ったか知らないけど、甘いだとか何だとかで色々と貶して来るんだよ。」
「それは敏さんに限った事じゃないみたいですよ。あのGTOの人って、口も大分と悪いみたいですから。」
「そうなのか? ま、兎に角、そんなわけで僕はあのGTOの音には覚えがあるんだよ。」
敏行の話を聞いて、豊は少し考え込むようにして言う。
「成る程な。まぁ、プロのドライバーとタメ張れるってんだから、GTOの速さは噂に違わずって事だな。……しかし、だからってやられっぱなしってわけには行かねぇだろ?」
「ま、それはそうなんだけどね。あのGTOに興味あるんなら、今から出撃してみようか?」
しかし、豊はその提案には賛同しない。もっとも、敏行もある程度分かっていて敢えて尋ねたのだが。
「いや、今夜は俺達の出る幕じゃねぇだろ。今日はあの2人に道を空けといてやりゃあ良い。わざわざ首を突っ込むのも無粋だし、第一バトルの後で車もドライバーも疲れ切った状態で仕掛けたって、相手は本気を出せやしねぇだろ。別にそういうのもありかも知れねぇが、俺としてはそれじゃつまんねぇぜ。」
「そうだね……。出来る限りお互いが万全のコンディションで望んだ方が、どんな結果でも納得が行くかもね。ま、そうはいっても、勝ちは勝ちだと思うけども。」
敏行のその言葉に、美由が茶々を入れる。
「お。出たよ、敏ちゃん節が。」
それに対して、敏行も大袈裟にリアクションを取りながら言い返す。
「何だよ。良いじゃないか。公道は厳しい世界なんだぞ?」
その様子に、他の三人も釣られてそして混ざって、五人の輪は盛り上がった。
やがて、成り行きから話の輪が二つに分かれた時、美由が敏行に尋ねた。
「それにしても、今日は随分と冷静にGTOとのバトルの事、話してたよね。あの頃は敏ちゃんの方もかなり怒ってたじゃん? 『幾ら負けたからって、あんなに滅茶苦茶言われる筋合いはないぞ!』って。」
その話を持ち掛けられた敏行は、思い出すように空を見上げてそれに答える。
「……ああ。そうだったっけな。負けた事への悔しさもあったと思うけど、それ抜きにしてもホント腹立つほど散々言われたからね。あの時は暫くの間言われた事が纏わり付いて頭から離れなくて、思い出す度に腹が立ってたよ。だけど……。」
「だけど?」
「確かに色々言われたんだけど、今思い返してみるとそんなに腹立てるほどの事じゃなかったような気もするんだよね。言い方はかなり辛辣だったけど、言ってる事は尤もだったかも知れない。『そんな生半可なテクと覚悟で走るくらいなら、走り屋止めちまえ!』とかさ。ま、もう大分と時間が経ったから、冷静に振り返れるようになったのかもしれないけど。」
それを聞くと、美由は敏行の横に並び、そして同じように空を見上げる。
「そうだね……。それに、時間の経過は敏ちゃんをただ単に冷静にさせただけじゃなく、敏ちゃんの考え方そのものを変えたのかも知れないよ。敏ちゃんが昔とは別の見方が出来るようになったから、その時とは違った気持ちで見れるのかもよ……。」
敏行の考え方の変化――それは此処最近美由が顕著に感じ取っているものだった。しかもその変化が進めば進むほど、より美由の考え方へと近付いて行っていた。始め、美由はそれを嫌がった。走りに没頭した事で周りから白い目で見られた事も多かった美由にとって、自分と同じような経験を敏行にさせたくはなかった。
だが、最近は敏行の変化を余り嫌がらなくなって来ていた。それは美由の考えも、時間と共に移ろいで行ったからなのかも知れない。
「何か出来事が起これば、人はその数だけ知識と経験を蓄えて行くわけだもんね……。その事で悩んで、考えて、そして自分の進むべき道を探し出して行くんだよね。」
美由が視線をそのままに言うと、敏行も体勢を変えずにそれに答える。
「それも、公道を走る僕達に取っては尚更の事だ。普通なら走る必要なんかない、寧ろ走るべきじゃないその場所に、走る理由を見出そうとしてるんだからね。まぁ、車が好きだとか走るのが楽しいとか、そんなごく単純な理由は誰だって探さなくても分かる事だけど、僕はもっと奥深い理由を見てみたいと思うんだよ。何か一つ理由らしきものが見えたとしても、その先にもっと大きな理由があるんじゃないかって、そういう風に何処までも先を目指して走り続けて行ける事すら、もしかしたら理由の一つとも言えるのかも知れないね。」
そう話す敏行の表情は、真剣ながらも何処か楽しげな様子も垣間見える。敏行のその言葉と、そして表情を見た美由は、ポツリと呟いた。
「……走り出した人間は、もう誰にも止められない……。」
唐突な美由の言葉に、敏行が不思議そうに美由の顔を覗き込む。
「ん? どうしたのさ、突然。そりゃ、水看さんの口癖じゃないか。」
「ううん。何となくね。敏ちゃんの言葉を聞いてて、何となく頭に浮かんだんだ。……そうだね。自分が望む限り、何処までも走って行けるってのがこの世界だもんね。ただ理由を求めるといっても、走り屋として追い求める事の、それに特にこの幕張みたいな雰囲気を持った……世界観って言うのかな? そんなのがある世界って、他には先ずなさそうだもんね。」
「ないだろうね。日本の公道を真夜中にチューニングカーで走る。ただそれだけの事なのに、醸し出す雰囲気は余りにも特異過ぎる。この空間の存在そのものが、幾つもの偶然が重なり合って出来た奇蹟みたいなもんだからね。宛ら、時空の狭間に存在する不安定な亜空間って所かな?」
「そんなSFチックな表現、よく咄嗟に思い付いたねぇ。でも、かなり言い得て妙な表現だと思うよ。強く確実な目で見ないと、この空気は絶対に感じ取れないものだからね。だから、皆それを見失わないように必死に追い続ける。そりゃあ、立ち止まってる余裕なんてないよね……。」
敏行はその言葉に頷くと、やや自嘲的に軽く笑う。
「フフッ。そんな小難しい理屈捏ねたって、本当はしょうがないのにね。」
それに対して、美由も同じように微かに笑って答える。
「そうだよねぇ。そんな事考えてる暇があるなら、走ってテクを磨いた方が良いのにねぇ。」
そう言いつつも、彼らの言い方は決して本心ではそう思っていない事を示している。確かに小難しい理屈である事には変わりないのかも知れない。しかし、この場所はただ車で走りたいというだけで訪れるような場所ではない。自分が走りに求めるものを探している者が、此処を訪れる。いや、惹き付けられる。しかし、だからと言ってただ漫然と走っていれば満足するわけでもない。当然ながら一介の走り屋として誰もが、他の誰にも負けるわけには行かないという思いを持っている。固より、負けを味わっているようでは探しているものを見つけられる筈もないのだから……。
今、此処に居る五人も然りである。仲間として、同志として集っているこの五人も、走りに求めるものは必ずしも同じとは限らない。そして、どんなに親しい間柄だとしても、それで走りに負けても良いという理由にはならない。彼らは固い絆で結ばれた朋友であると同時に、絶対に相容れる事のない敵同士でもあるのである。
「……言葉にすると複雑かも知れないけど、でも私達は直感的には間違いなくそれを理解してるよね。口では上手く言えなくたって、想いは変わらないんだから……。」
目を閉じて呟く美由の姿は、恰も祈っているかのようだった。
それからもう少し後の事。15号線の東端から海へ向かって伸びる幅員の広い道路には、数多くのメーカーのステッカーで彩られたS15シルビアが停まっていた。そしてその脇に佇むのがこの車の乗り手であり、プロレーサーの肩書きを持つ、工藤灯夜である。碧のGTOとの勝負を終えた灯夜は、それまで張り詰めていた気分を解き解すかのようにして、髪を靡かせながら潮風に当たっていた。
ドライカーボンのGTウイング。車内に張り巡らされたロールバー。そして外からは判別出来ないが、ボンネットの下には内部まで精密に手の加えられたパワーユニット。灯夜のシルビアは各部まできっちりと作り込まれており、その性能はそこら辺のストリートカーとは雲泥の差である。勿論、パワーもある。そして、生業として車を操る灯夜自身も相当の技術を持ち合わせている。だが、その組み合わせを持ってして挑んだ破壊の関口との戦いだったが、熾烈な争いを繰り広げるも、最後はGTOが前方の遥か彼方へ消え去ってしまうという結果で終わった。
「……直線番長もあそこまで行くと凄いね。あれじゃ、スタビリティも何もあったもんじゃないよ。」
独り言で思わず負け惜しみを言ってしまう。だが、灯夜の表情は悔しさと共に、嬉しさも存分に含んだものだった。
「全く、これだから公道って場所は止められないんだよ……。プロの私が平気で食われちまうような走り屋が居るってんだから。」
プロとして活躍している為、どうしても雑誌などで自分の顔は広まってしまう。そして、プロのレーサーが公道を徘徊しているなどという事を知られるような事があってはならない。よって、幾ら灯夜が公道の味を覚えているといっても、車を目撃された時点で自分の正体が割れてしまうので、大抵の走り屋スポットには走りに行く事が出来ない。だが、幕張だけはそんな彼女を受け入れていた。此処に集う者達は、例え灯夜の正体を知る者であってもそれを持て囃すような事はしなかった。無秩序の世界が持つ不思議な秩序。或いはそんな理由に因るのかもしれない。
それだけに、灯夜にとってもこの場所への思い入れは強い。そして、ほぼ総ての走り屋がそうであるように、この場所での戦いに敗れれば、えも言われぬ悔しさが込み上げて来る。
「……明日は新しいタービンのテストだったな……。結果的に良い機会になった。そいつを組んだら、また挑んでやるさ。今日はそっちの得意なストレート勝負で終わっちまったが……あのままじゃ終わらせない。次こそは私の本領を発揮させてもらうさ。見てな。」
そうしてシルビアに乗り込んで発進させ、幕張を後にした。
店仕舞いの支度を始めた夕方のガレージ木之下を、仕事帰りの敏行がインプレッサに乗って訪れる。忙しそうにしていた水看に、自分の手が空くまで待っているように言われ、邪魔にならないように裏手に回った。工場内には、艶やかな外装のスポーツカーが二台ほど入っている。敏行はそれをぼんやりと眺めていた。
「最近はホント、ド派手な見た目も流行りなんだな。美由のロードスターのピンクも結構目立つ色だけど、こういうのには負けるよなぁ。」
「どうせなら目立つ方が良いって思う人も多いのよ。確かに今の流行でもあるしね。」
一通りの作業を終えた水看が、敏行の許へとやって来た。
「まぁでも、見た目なんてのはあくまでもその人の好みによるものよね。ある程度の方向性はあるとしても、それだけで全体を決め付けてしまうのは、ちょっと安易ともいえるんじゃない?」
冷めたように言い放った水看の言葉に、敏行は笑いながらも真面目に答える。
「そうですよね。それを言ったら、僕だってワゴンに乗ってるんですしね。」
「まぁね。それに、あんたは走る相手には事欠かない人間だしね……。ところで、今日はどうしたのよ? またブローでもさせたの?」
「いえいえ。そんな事はないですよ。ただ、前に水看さんが走りに来た時に頼んだでしょ? 中間域でちょっと引っ掛かる感じがあるから、見て欲しいって。なんだかんだで中々持って来れず仕舞いでしたけど、丁度今日は仕事も早めに上がれた事ですし、見てもらおうかなと思いまして。」
「ああ、そういえばそうだったわね。前に美由と来た時もその事には触れなかったし、そのままで走るつもりなのかと思ったけど、そういうわけじゃなかったのね。」
「あの時はあくまでもちょっと顔を出しに来ただけですから。ま、その時は忘れてたってのもあるんですけどね。でも、ここんとこは幕張もごたついて来た気がするんで、此処で気を引き締める意味も兼ねてね。」
それを聞いて、水看は俯き気味にしていた顔を上げた。
「確かに、最近の幕張は穏やかじゃないみたいね。シルバーブレイドがやって来たりもしたんだし。でも、だからって変に焦ったってしょうがないわよ。」
「それは分かってるつもりなんですけど、でもやっぱりそう感じてしまう部分もあるんですよね。こないだはGTOが現れたんですよ。破壊の関口のね。以前に僕もやられた相手なんで、次に出遭う事があれば、今度こそは負けたくないですからね。」
敏行の言葉を聞いて、水看は上げた頭を再び項垂れる。
「……分かったわ。それなら早速今夜から手を入れて行こうかしらね。引き取りは、そうね……明後日までには上げておくわ。今回はお望み通り、バトル向きの仕様にしてあげるわよ。」
「期待してますよ。水看さん。」
嬉しそうにする敏行に対し、水看は宥めるように言う。
「いつも言ってるじゃない。そんなに期待するなって。基本的にはセッティングを変えるだけなんだから。タービンでも変えたみたいに突然パワーアップしたりするわけじゃないのよ?」
それでも敏行は嬉々とした様子を崩さない。
「分かってますよ。分かってるんですけど、でも何だか水看さんに預ける時ってワクワクするんですよ。次はどんな仕様になるのかなって。」
「もう。子供じゃないんだから、大人しく待っときなさいよね。まぁ、私の気分次第であんたのインプレッサは良くも悪くも化けちゃうわけだから、そういう意味ではどんなのが出て来るのかっていう想いはあるんでしょうけど。というか、可笑しな仕様にならないかって心配してた方が良いかも知れないわよ?」
しかし敏行は不敵なまでの笑みを浮かべてそれに答える。
「大丈夫ですよ。水看さんの“可笑しな仕様”は、決して不出来なもんじゃないですから。でしょ?」
水看は一瞬目を逸らして軽く溜め息を吐き、そして釣られたように笑みを浮かべる。
「……全く、あんたには負けるわよ。」
その水看の微笑みは、観念したというだけではなく、自嘲するかのような笑みにも見えた。
幕張を今夜も孝典が愛機SA22Cで流している。耳を澄ませば他にも幾つかのエキゾーストノートが聞こえる。やがて、その内の一つが自分の方へと近付いて来る。補助灯も点灯させた真紅のセリカが、煌々とSA22Cの姿を照らし出す。
「お、豊か……。」
後ろを振り向かずに孝典は呟いた。態々確認せずとも、豊のマシンだという事は彼には直ぐに分かる。それだけ孝典と豊は長い付き合いではある。しかし、以前とは少し変わりつつある事もあった。
「今日も会ったな……。」
続いてそう呟いた。今日の出遭いは偶然であり、約束して来たわけではなかったのである。そしてそれが此処最近、比較的頻繁に続いていた。少し前までは専ら豊からの誘いがあり、それに合わせて孝典が出向くというパターンが多かったのだが、近頃はお互いに約束をせずとも幕張を訪れ、そして鉢合わすという事が増えていた。
「それだけ豊がしょっちゅう此処に来てるって事か。いや、豊だけじゃない。俺もそうなんだな……。」
歌野も昔から定期的に此処を訪れていた。しかし、その頻度が以前よりも増してきて来ている事に、孝典は気付かされた。
「……当然の事か。俺だって、同じ種類の人間なんだもんな……。」
孝典は豊に道を譲って先行させる。加速体勢へと移ったセリカを確認すると、孝典も追ってアクセルを開ける。しかし、豊は普段にも増して鋭い走りを見せる。しっかりと追えてはいるものの、先行させてしまった事を孝典は少し後悔した。
「敏と出遭ってからあいつも大分と切れた走りをするようになってたけど、今日はまた一段と気合入ってるな。……やっぱり豊も、今の幕張が何処へ向かおうとしているのか、感付いているんだろうか……。」
よく知った筈のセリカのテールが、まるで別物のようにさえ感じられた。
GTOの再来を知り、豊はより一層自らの技術の鍛錬に励もうという思いを強めていた。同じ場所を走る以上は、いつか互いが出遭う時が来るかもしれないという事である。まだ豊は実際にGTOの走りを目にしたわけではないし、GTOをターゲットにしようと思っているわけでもない。だが、もし最速と謳われるGTOと出遭った時に、敢え無く敗れるような無様な姿は曝したくない。GTOも含め、速い相手と邂逅する事は楽しみであると同時に、勝てるかどうかという想いもある。自分ではそれを不安とは呼びたくないが、実際の所はやはりそうなのだろう。その不安を打ち消す為にも、豊は走り込まずには居られなかった。走り込んで行く事で、その不安を自信へと変える為に。
「遅い奴にはドラマは追えねぇ……。置いてきぼりを食らっちまうわけには行かねぇからな……。」
そして、彼の見る道の向こうには敏行のインプレッサの姿もある。豊にとって敏行は、他の誰よりも倒すべき相手なのかもしれない。
「俺の方はいつでも良いぜ。誰でも良い。掛かって来いや……。」
前を見据える豊。彼が道の彼方に見る幻影は、すぐにでも手の届きそうな位置にあった――。