#001-02



 約束の日の前日。寝る前に俺は、本棚の中で忘れられていたハチロク特集のチューニング雑誌の付録を引っ張り出して、読み返していた。高校生の頃に買ったものだったと記憶しているので、10年には及ばないがそれに近い年数を経ているものであり、存在を覚えていた自分に驚くほどだ。
 当時は熱心に読み返したっけなぁ――。懐かしむその感情は、同時に今の自分を儚(はかな)んでいるかのようで、急に惨めさを覚え、不貞寝(ふてね)するようにしてベッドに潜り込んだ。目を閉じてから耳に入って来る、外を通る車のエンジン音を、やけに疎ましく思いながら、いつしか意識は遠のいて行った。


 迎えた24日の朝は、見事な快晴だった。目覚めると同時に習慣で携帯に目を遣ると、休日にしては早い時間である事に少し喜びつつ、身を起こす。そしてある程度身支度を整えてから、御子柴さんに連絡を取る。午前中の早い時間から居ると聞いているので、この時間なら余裕を持って大丈夫だろう。
 携帯の向こうからは御子柴さん以外の声も後ろの方でしている。既に仲間が集まっているのだろう。今から向かう事を伝えた御子柴さんの声は、仕事で会う時よりも一回り楽しげな様子だった。


 大通沿いの分かり易い立地のコンビニが待ち合わせ場所だった。御子柴さんは落ち合ったついでにコンビニに寄ると、ちょっと高めのコーヒーを奢ってくれた。ガレージへ向かうまで同乗する間も、御子柴さんは何処か饒舌(じょうぜつ)だ。ともすれば、子供っぽいとも思えるほどに。

「いやー、凄ぇなぁ……。ホントにガレージだよ……。」
 案内されるままに裏道を進んで辿り着いた場所には、雑誌で見掛けるような“如何にも”な光景が広がっていた。
「知り合いとかと何人かで共同で借りてんのよ。割り勘すれば家賃も知れてるし、工具とかも共同購入多いね。」
 ごく小規模な町工場くらいの決して広くはない室内では、御子柴さんと同年代であろう幾人かの人達が、各々の車を弄っている。
「秘密基地って感じですね〜。」
 本当にこんな所があるんだなぁ――。半ば感心するような面持ちで、俺は辺りを眺め回した。
「城だね。俺の。まぁここ来てるヤツは、大体家よりここが落ち着くって奴ばっかだけどな。」
 見知らぬ顔が入って来て、一瞬は注目を集めたが、御子柴さんが連れ添っている事もあり、皆の表情はすぐに穏やかなものとなった。
「ほら、あそこでホイールにバフ掛けしてる変態は八木原(やぎはら)ね。ロンシャンマニアで磨き病。10セットくらい持ってるわ。確か。」
 妙な紹介をされて苦笑いをしつつも、研ぐ作業は止めないのだから、その評価は正しいのだろう。
「そいつは酷い……。 どぉも〜、始めまして〜。」
 軽く挨拶をすると、八木原さんも笑顔で二言三言(ふたことみこと)返してくれたが、やはり手は只管(ひたすら)ホイールを磨いていた。そうか、これが磨き病って奴なのか――。頭の中で“病”という文字だけが大き目のフォントで変換された気がした。既に俺の目からすれば、八木原さんの磨くホイールは新品以上に輝いており、最早鏡のようだ。
 それから隣を見ると、一際(ひときわ)手の施されたハチロクが目に入った。
「お。あれが御子柴さんのレビンなんですね〜。しかも赤黒ツートン! パンダじゃない純正色なのが、また良いですね。」
 エアロは大人しめだが、TRDのオーバーフェンダーにGTウイング、点数多目なロールバーなど、ポイント部分は穏やかならざるものだ。
「ダッせぇだろ〜? ま、これが味あっていいんだけどね〜。」
 自嘲気味に笑う御子柴さんだったが、本心からダサいと思っているようには大凡(おおよそ)見えない。
 ――ああ、確かにそうだ。好きなものに対しては、欠点ですら愛着が湧き、兎角(とかく)それを人に言いたがるものだ。
「いやいや、渋いでしょ! 若造じゃこのカラーは乗りこなせませんわ。」
 自分も、ワゴンボディを選んだ自分をそう評した頃もあった――。御子柴さんを必死に持ち上げる動機は、過去の自分への回顧からだったのかもしれない。
「おいおい。褒めてんの、それ?」
 そんな俺の気持ちは露知らず――元より、知られたくもなく――御子柴さんは得意げにボンネットを開けた。
「101ヘッドに92ブロックって余りもんのエンジンに戸田の4連。制御はM4でしてる。今はサージタンク作ってて、これにこの間のファンネルを使うってワケだ。」
 昨晩復習したハチロクの特集付録にもあった、ハチロクとしては比較的定番のチューニングメニューだ。まさか、フルコンまで自分でやっているとは思わなかったが。
「いやぁ。総削りのサージタンク使うワケですか。役得だなぁ。」
 だが、この辺でそろそろ俺の知識の限界だ。サージタンクは辛うじて触れられたが、これ以上は話に付いて行く事が難しそうだ。俺は元来メカには疎いし、それに――こんな場所に来ると更に認めたくなくなってしまうのだが、御子柴さん達がそうしているほどに、今の俺は車へ情熱を注げていないのだ――。
「接合は流石に別なトコでバックシールド溶接してもらうケド……。結構良いだろ?」
 だから、投げ掛けられた質問には、取り敢えずは相槌を打っておかねば。
「良いッすね! 造りモンで此処まで細かく出来てんのは、少ないですよ〜。」
 ――その台詞が出て来ただけでも、上等だ。そして、早く話題を変えなくては。冷静に考えれば、知識不足が露呈したところで大した問題もない筈なのだが、その時の俺はそれが情熱を失っている事を意味しているように思え、悟られまいと躍起だった。
「……ところで、今日はエア抜きですか?」
 キャリパー周りを弄っているのを見れば、それくらいの事は分かる。
「そうそう。その為に呼んだってのもある。」
 悪戯っぽく笑った御子柴さんは、いつの間にかチューブと空のペットボトルを用意していた。
「ほら。さっさと乗ってブレーキ踏めよ。さっき、コーヒー奢ってやっただろうが。」
 そんな下心があったんですかと苦笑しながら、俺はハチロクの運転席に乗り込んだ。使い込まれたフルバケに身を納めて姿勢を整えると、目に映るコックピットの様子は自分のそれと懸け離れているように思えてならなかった。作り込みとかに限らず、刻み込まれた年季が物語る雰囲気とでも言おうか――。
 俺がペダルを踏み、御子柴さんが出て来るフルードを受けつつニップルを締める。最初の内は黙々と作業していたが、やがて大分ペダルが固く来た頃になって、御子柴さんが俺にふと問い掛けて来た。

「そういえば青山君は、どの辺走ってんの?」

 “何処か”走ってんの、ではなく、“どの辺”走ってんの――。走っているかどうかを訊かれているのではない。走っている事を前提にされた質問だ。それは訊かれるべくして訊かれた質問であり、俺が最も懸念していたものでもある。当然の流れだ。あれだけ弄った車に乗り、御子柴さん達の作業にも興味のある素振(そぶ)りをしているのだから。
「いやぁ、今は全然で……。一通り格好ばっかりはそれっぽくしたんですけど、作りっぱなしで、乗ってるだけな感じですね。」
 嘘は吐(つ)かない。でも、精一杯取り繕いはする。
「でも、免許とったばっかの頃は、親の乗ってたインプレッサワゴン借りて乗り回してました。結構色んなとこ行ってたかな。銚子とか、幕張なんかも走ってましたね。」
 もう、何年も前のであり、今となっては懐かしくすらある。
「へぇ〜。一台目でインプレッサは羨ましいねぇ。走り屋さんじゃんよ。」
 一方の御子柴さんはフルードを補給しながら、俺を茶化し気味に持ち上げる。
「いやいや、そんな大層なもんじゃなくて。よくその辺に居る、マナー悪い迷惑な若造だったんですよ。俺が小さい頃に親が中古で買って……。93年式の、まだSTiバージョンがなかった頃のWRXですよ? ウチの親、新車買わない人だったんですけど、凄ぇ速くて、超憧れて。免許取ったら譲ってくれ〜って小学生の頃から言ってましたね。」
 当時買おうと言い出した父親も、それほど極端にスバリストだったり走りの人間だったわけではなく、一般的なレベルの車好きに過ぎなかったのだが、どういうわけかターボのインプレッサをチョイスした。ワゴンを選んだのは、積載性などを理由に母親を納得させる為の口実らしいが。
 そして父親は時々俺を夜のドライブに連れて行ってくれた。車通りの少ない国道では、思い切りアクセルを踏み込む。せいぜい一瞬150km/hに差し掛かる程度までの加速だったが、それでも子供だった俺には強烈な印象を残した。余りに強烈過ぎて吐きそうになり、近くのコンビニに駆け込んだりした事もあったが。
「ふはははははッ! 変なガキだなぁ。」
 聞いていた御子柴さんが、豪快に笑う。インプレッサというだけならまだしも、ワゴンに限定した憧れを小学生の頃から持っていたというのは、確かに変わっているだろう。大人になった今でも、同じ様にワゴンのみに憧れを抱く人間に会った事はない。
「でしょ? イカれてますねぇ。」
 釣られた俺の笑いは、“自嘲”か――。まだ、俺が思う真の意味での自嘲には達せられていない気がした。
「んで、大学入った時に入学祝いだって事で……。譲ってはくれなかったですけど、貸してくれるようになったんですよ。」
 あくまでも所有権は親のまま。しかしながら、既にその頃には親は別の車を買っており、必要経費は親が払ってくれているのに扱いは自由にして良いという、実に恵まれた状況となっていた。
「もう嬉しくて、当時喫茶店でバイトしてたんですけど、バイト代殆どガスとタイヤ代になっちまったんじゃねぇかってくらい走りましてね。弄ったりとかする余裕なかったんで、マフラーもノーマルみたいなので走ってましたけど、楽しかったですね〜。」
 学業の傍ら、結構な量のシフトを入れて稼いでいた。仕事自体が楽しかった事もあるのだが、稼げば稼いだ分だけ走れるというのが、何よりのモチベーションとなっていた。インプレッサクラスともなると、ガソリン代だけでも馬鹿にならない。
「まぁ、大学卒業する間際にぶっ壊しちゃって……。親には殺されかけましたけどね。」
 就職も決まり、単位も取り終えて卒業が確定し、今の内にと毎晩走り回っていた時の事だった。気が緩んだ一瞬にマシンはアンダーステアのままでコーナーの外側へ一直線。本人は鞭打ち程度で済んだものの、車の方はといえば左の側面は見るも無残な姿となり、最早修理不能だった。
「うっわ〜……。そりゃあ、殺されるわなぁ。というか、俺でも殺すわ。」
 御子柴さんも走る人間だからだろうか、心情は理解してもらえたようだが、それを踏まえても呆れ顔といった様子だった。
「ですよねぇ。今になっちゃ、よく堪忍してくれたと思いますよ……。その後、貯金で軽買ってあげて誤魔化しましたけど、親に取っちゃ迷惑な話ですよね。」
 普段は割と温厚な父親が怒り狂っていたのをよく覚えているが、父親も俺にある程度の信頼を置いて貸していてくれたのだろうし、勿論車そのものへの愛着もあった事だろう。親と車好きという二つの側面から、俺に当たらずには居られなかったであろう事は、俺にだって想像に難(かた)くない。
 その後、就職してからも暫くは車がなく、バス通勤を余儀なくされていたが、それなりの企業に就けた事もあり、比較的早く再び車を買える状況となった。
「そんで、金溜まってから今の奴買ったんです。やっぱ買うんだったら旧型ワゴン欲しいなって。んで、バケット入れたり、マフラー変えたり、足回りやったり……って、色々やったんですけど、肝心の走りの方は暫くご無沙汰ですね……。」
 事故を契機に走るのが恐くなったというのは、一要素でしかない。きっと、事故を起こしていなくても結果は同じだったのではなかろうか。思っていたよりも仕事が面白く、毎日を忙しく過ごしている内に、いつしか車から心は離れていた。
金が溜まったらインプレッサワゴンを買おう。その目標こそは忘れていなかったが、いざ買ってみたところで、バス通勤がマイカー通勤に変わっただけで、実際に走りに行く事は殆どなかった。
そして、ふと仕事に疲れて振り返ってみた時にようやく、自分がどれだけ車に対する情熱を失っていたのかに気付いた。もう、自分ではどうする事も出来ないほどに――。
それでも、微(かす)かに残る願望が、俺にその言葉を発させたのだろうか。
「また復帰したいな、と思ってはいるんですけど……。」
 ――その願望すらも、過去の想い出に縋(すが)り付いているだけなのではないか。自分から冷めておいて、その事に脅えるなど、勝手も良いところだ。逆に言えば、それほど今の俺は満たされていないという事なのだが。
「そっか〜……。」
 だから、合いの手の後の間がやけに長く感じられたし、その後に続く言葉は予想だにもしなかった。
「んじゃ……来月にでも復帰する?」
「来月?」
 思わずその単語を反復すると、御子柴さんが説明を続けてくれた。
「俺らんとこと他に何人かで、16日に筑波行くんよ。ハチロクばっかだけど、何台かロードスターも来るっつってたっけな?」
 筑波サーキット――。今更語るまでもない、国内でも有数のサーキットであり、俺の住む千葉県からもその気になれば十分に行ける距離だ。元より――。
「サーキットですか……。行った事ないですねぇ。」
親のインプレッサで走っていた時だって、峠や港などのそれっぽい所で、ちょっと飛ばして真似事をしていた程度だ。サーキットというのは、少し別世界というイメージがある。
「結構面白いよ。オヤジばっかだけどな! あ、何人か若者も居たか。」
 そんな俺の懸念を他所に御子柴さんは、またも豪快に笑いながら再び誘いの言葉を述べる。
「ま、悪くないと思うよ? 思いっ切り攻められるし、タイム出るから盛り上がるしね。」
 知らない場所へ飛び込むのがそれほど得意なわけではないが、御子柴さんが連れて行ってくれるのだし、そんなに肩身の狭い思いをする事もないだろう。返答するのには然程(さほど)の時間を要さなかった。
「そっか……。なら、ちょっと行ってみようかなぁ?」
 走りに興味があるのに、筑波を走る事への誘いを断る者など、居るだろうか――? 頭の中で必死にそれを、反語法で用いようとする。そう、自分は走り屋として“正常”な嗜好を持つ者と思い込みたくて――。若(も)しくは、例え今はそうではないとしても、その場所へ連れて行ってもらう事で、“正常”に戻れる事を期待して、提案への同意に至ったのだ。軽い素振りも、内奥であれこれ巡らしている事の裏返しに他ならない。
「お、行く? 歓迎だぜ〜。じゃあ、来月の16日だけど、集合は取り敢えず此処でさ……。」
 すかさず御子柴さんが具体的な説明に入ったのに気付き、俺は慌てて彷徨(さまよ)う意識を其方(そちら)へと集中させた。


 ――そんな俺を、御子柴さん達は笑って許してくれていたのだろう。後からすれば、そう思えてならないのだが、その時の俺には気付けるだけの余裕がなかった。


 ――でも、例え許されていたのであったとしても、俺はその優しさに付け込みたかった。俺が失ってしまった感覚を、この人達は持っている。嘗(かつ)て慕い求めていた、車への熱さって奴を――。
 こんな情熱、失われた方が幸せなのだ。そんな風に考えられていてたのは、自分もその情熱を持っていた間の事か――。それも自嘲の内だった。
――俺は「自嘲」とは、必ずしも「自」らを「嘲」(あざけ)る行為ではないと思う。上辺でそう取り繕っているだけ、皮肉っているかのように見せ掛けているだけであって、実際にはそんな自分を誇らしげに思っているのだ。
 御子柴さんが自分のハチロクをダサいと称する裏には、きっとそんな感情がある。愛機だからこそ、言葉の上では貶(けな)せるのだ。
 一方の俺は――果たしていつ、自分からインプレッサワゴンの事を話した事があるだろうか? 向こうから訊かれれば答える程度で、訊かれもしないのに饒舌に語った事は、この方ない。――それは、自らの車に限った事ではない。車や走り、そういったジャンルの事を楽しそうに人に話した記憶は、すぐには思い出せない。遡(さかのぼ)って思い返せば、もう数年前になるか――。

 まだ大学生だった頃。俺はとある喫茶店でアルバイトをしていた。割と小ぢんまりとした自営の喫茶店だった。経営する夫婦の娘で、俺の少し下の女の子がやけに車に興味を持っていて、事ある毎(ごと)に色々と話してやったものだ。
 きっと俺はその中で度々、インプレッサワゴンの事を自慢していたのだろう。いや、インプレッサに関する時ばかりではない。車や走りの事を話している時の俺は、どれほど楽しげに映った事か。
自分で気付いたり、誰かに指摘された記憶があるわけではない。なのに、確信はある。だって、今の自分と比較すれば、容易に分かる事じゃないか。――こんな時にする自嘲は、文字通りの意味のものなんだろうな。
――気付けばあいつとも、暫く連絡を取っていない。確か、自分も車を買って走り始めたんだと聞いたのが最後だったか。対照的に車への熱が冷め始めていた俺は、それ以降連絡を取る事が何処か億劫(おっくう)になってしまった。――そうか。こんな所にも、自らの気持ちの変遷が表れていたのか。


 それから何度も御子柴さん達とは筑波に通った。
 有名な上に全長も短い筑波のコースを把握するのは、それ程難しくなかった。――だからと言って、御子柴さん達と同じ様に走る事など、到底出来なかった。寧ろ、最初はそう期待してしまった自分が恥ずかしい。
 周りはNAのFR車ばかりだ。ターボで4WDのインプレッサをもってすれば、コーナー立ち上がりでのスピード勝負を仕掛ける事で、結構行けるだろうと思っていた。だが、そんな事をどうこう言えるレベルではなかった。根本的な部分で差があり過ぎる。どれだけアクセルを我慢出来たと思っても、どれほど綺麗なライン取りが出来たと感じても、それは多少足掻(あが)けているに過ぎなかった。
 ――俺は彼らの中では、比べられるにすら及ばないのだ。何とかして皆の視界から消えない状態をキープするのが、俺の精一杯だった。これが、経験の差って奴か――。いや、それだけではない。やっぱり、掛ける想いが違うのだ。傾ける情熱――。それが御子柴さん達と俺を隔てる決定的な差の一つであるのは、間違いないだろう。
 きっと、ストリートとのレベルの違いってのもある。整えられた環境のサーキットは、それだけ限界に近付いた走りが出来る。常にリスクを背負っている走るという行為において、それがどれだけ重要な意味を持つのかが分からないほど、俺はガキではない。
 それでも何処か、この人達のように熱くはなれないと引いた視点で見てしまうのは、自分があくまでもストリート派だということなのか。サーキットのような囲われた場所よりも、開かれた公道の方が性(しょう)に合っている、と。――かといって、今の俺は公道の何たるかを語れるほど、走っているわけでもない。
 つまりは、どっちつかず。サーキットでもストリートでも、今の俺は熱くなれない。もう、すっかり冷めてしまっている。あれだけ憧れて手にしたインプレッサも、今では快速どころか鈍行も良い所のただの通勤車だ。5速をまともに使う事すらないような俺にとって、走りなど――。
 ――ただ、それらの理由を全て掻き集めたとしても、まだピースが足らないような気がしてならなかった。俺自身にも分からない、他の何かが――。いや、そもそもそんなものがあるのかどうか、それ自体も定かではないのだが――。
 そんな事を考えていた時に、御子柴さんがふと俺に言った。
「ん〜、どうした? 盛り上がりきれないか?」


 ――俺がその問いにどう答えたか、実の所よく覚えていない。ただ、その時の俺が最も訊かれたくない事の一つだった事は間違いない。気が動転した俺は、きっとまともな返事は出来なかっただろうし、それ故に後日再び同じ問いを投げ掛けられたのだろう。


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